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鈴麗光(10/1/2 10:32)
今日は。鈴麗光と申します。もしも今回の私のカキコが、FOG様にとって不都合な内容と判断される様でしたら、私のカキコも削除をお願い致します。ただ…その可能性を考えても矢張り、10余年に渡って「久遠の絆」を愛しFOGさんを応援して来たファンの一人として――…こうした感想を書かずにはいられませんでした。
今回の18禁化を知った時に…まず最初に来たのは困惑。次いで湧き上がって来たのは、どうし様も無い…本当に自分でもどうする事も出来ない悲しみでした。勿論今回の18禁化のお話を耳にして喜んだ人も沢山いるでしょう。けれど恐らく…私の様に複雑な心境になったファンも多く存ただろうと云う事を。その事を…FOGさんにはきちんと分かって貰いたくて…。ただその気持ちだけで、私は今、このカキコをさせて貰っています。
再臨詔。最初に発売された「久遠の絆」が移植される際の追加シナリオとして発売された物語。その物語の台詞を…今、私は苦々しい想いで思い起しています。
>『神には一人でもなれるだろうさ、邪神でも何でも神様は神様だからな。 > でも、人になるためには二人いるんだぜ?』
周囲の人間の気持ちを黙殺して一人ぼっちで神になろうとした有坂汰一に対して、杵築悠利が口にした言葉。この台詞が、そのまま―――作品作りにも当て嵌まるのだと、私は今改めて思い知らされています。
今回の「18禁化・久遠の絆」からはシナリオに携わったもう一人…。小林且典様の担当部分は無くなってしまうと云う事ですね。けれど…「久遠の絆」は平安から始まり、元禄、幕末と時を経た現代で、千年の運命に決着を着ける物語でした。
そしてトゥルーエンドと云うのは、そうして過ごした千年の間で、鷹久と云う男が武として神へ登極するまでに、何が本当に大切なのかを探し出していく物語だと私は思っています。一人の幼い…自分自身の未熟さを周囲や時代のせいにして生きていた男が、一人の女性と出逢い彼女を守ろうとする千年の時の中で―――自分の周囲にある沢山の優しさや自分に注がれた愛情。周囲の人々が抱えた想いに触れて、新しい時代の「人である神」として詔を発する物語。それが…「久遠の絆」と云う作品の本筋であり、テーマでもあるのだと…そう、私は思って来ました。
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